お世話係の暮らし😸

2人と1匹🐈の暮らし。ごく稀にバイクのお話し💦

「25年・50年・100年」①長文につきスルー願います🙇🙇🙇

日曜日(10/1)、父方の祖父の五十回忌の法要がありました。
年忌法要は、命日から32年目にあたる「三十三回忌」まで行うのが一般的らしいのですが、
「親族の長」的な立場の叔父の意向で執り行うことになりました。
さらに、親族が一堂に会しての法要となることから
曾祖父の100回忌、伯父の25回忌も一緒に執り行うことになりました。
「25年・50年・100年」と、なんてキリのいい数字なんだろう?と思っていると
お寺さんから(僧侶)曾祖父は亡くなって112年になりますが、
「112回忌というのは無いので100回忌として・・・💦」とご説明がありましたが
当然ですが、その場にいる親族でも最高齢は90歳なので
存命時の曾祖父を知る人は一人もいません。

曾祖父は安政5年生まれ、西暦にすると1858年で、
もしも生きておられたら165歳となります。
曾祖父が生まれた1858年は日本史の年表で見ると「安政の大獄」があった年で
「福沢諭吉が江戸に蘭学塾(慶応大学の前身)をひらく」という年でした💦
曾祖父は亡くなって112年ということですから、亡くなったのは1911年、
享年53歳ということになります。

祖父は明治40年生まれ、西暦にすると1907年で
もしも生きておられたら116歳となります。
祖父が生まれた1907年は、1904年2月~1905年9月まで「日露戦争」があり、
日露戦争の戦後生まれと・・・。
祖父は亡くなって50年ということですから、亡くなったのは1973年、
享年66歳ということになります。


ところで「日露戦争」ですが、
~戦争概要~
1904年2月から1905年9月に大日本帝国とロシア帝国との間で勃発した戦争。
戦地:満州南部、朝鮮半島沿岸、樺太
結果:日本軍の勝利休戦・講和
戦力:日本側 約30万人 ロシア側 約50万人
指揮官:
日本側 明治天皇、大山巌、児玉源太郎、東郷平八郎
ロシア側 ニコライ2世、アレクセイ・クロパトキン、ステパン・マカロフ
損害:
日本側 戦没者88,429人(戦死者、戦傷死者は55,655人)病死者27,192人、負傷者153,584人
ロシア側 戦死者25,331人、病死者11,170人、戦傷死者6,127人、負傷者146,032人

両国はアメリカの仲介のもと講和交渉に臨み、
1905年9月5日にポーツマス条約が締結され講和した。


日本の損害の方がロシアより大きいのに「日本軍の勝利」ということに驚きました。

曾祖父も祖父も激動の時代に生きておられたんだと・・・、
僕の父は、2年前に亡くなっています。(来月3回忌)
父は昭和9年生まれ、西暦にすると1934年、享年87歳でした。


祖父の50回忌で、曾祖父、祖父、父の三世代の人生を、生きていた時間を考える
キッカケとなりました。
続く・・・💦🙇🙇🙇

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